山田念珠堂NEWS

数珠の歴史(65) 時宗宗祖 一遍の数珠(1)

今回より時宗の宗祖である一遍(1239〜1289)と数珠の物語です。「一遍上人絵伝」に見える一遍と数珠をテーマに物語が展開してゆきます。


 四天王寺西門は最近、一人の出家によって騒がしい。西門で説教をし、自らは数珠を振り回しながら、皆で念仏を称えることを朝から晩まで行っているのです。

(どなたなのかしら)と四天王寺あたりの数珠屋の娘は考えながら、数珠の紐を編む手を動かしていました。

 その時、「もし」と女性の呼びかける声がして数珠屋の娘は顔を上げると、そこに尼僧と尼僧姿の女の子が立っていました。
「数珠の紐が切れそうなので、直しをお願いできませんでしょうか。それから、木の玉の数珠を百連ほどお願いします」
尼僧は直しの数珠を数珠屋の娘に手渡すと、娘は「狭い店棚ではございますが、どうぞこちらにお坐りください」と尼僧と子供の尼僧を店棚の中に招き入れました。

「私は超一、そして私の娘の超二です」と尼僧は自らを紹介しました。
「超一様とお呼びすれば良いのですね、そしてこちらの可愛らしい出家様が超二様」
 超一は随分と綺麗なお方でした。そして超二も美少女と呼ぶに相応しい少女でした。

「数珠の直しは今、私がここで行いますね」
 数珠の紐は本当に切れかかっており、数珠屋の娘は修理の手を動かしながら超一に聞きました。

「どちらからお越しになりましたか」
「伊予でございます」
「それはまた随分と遠くから」
「四天王寺の西門で念仏を勧めておりますのが私の夫である一遍上人です。超二は一遍上人と私の娘です」
 数珠屋の娘は少し驚きました。鎌倉時代において、出家の妻帯は公然としたものではありません。
「私も、一遍様も、正式には出家僧ではありません」
「そうなのですか」

 この時代、僧尼の姿をしながらも、正式な僧尼でない人は随分とたくさんいました。男性も女性も、正式な僧尼になるためには受戒が必要でした。

「一遍様が今回、四天王寺に来た目的の一つは、お堂に籠もり、大乗菩薩戒と呼ばれる十重禁戒を自誓受戒することにあります」
「自誓受戒?」
「そうです、自ら仏をそこに招き、大乗仏教の戒を受けることです」

 一遍は出家得度の時に五戒を受けていましたが、大乗菩薩戒は受けていませんでした。

「私にはよく分かりませんが、その大乗菩薩戒を受けると何が違うのですか」
「一遍上人は衆生を極楽浄土に導くために南無阿弥陀仏と記された札をお配りになります。その衆生を導くための誓願を立てるために大乗菩薩戒を受けられるのです」

 数珠屋の娘は超一尼の話を聞きながら、数珠の修理を続けました。
「はい、超一様、御仕立て直しができました」

 超一は数珠を受け取り、その感触を確かめると
「素晴らしい張りのある数珠になりました。ありがとうございます」
 超一は娘にお礼の言葉をかけました。
「これから一遍上人は金堂に籠もり、大乗菩薩戒を受けられ、その後に南無阿弥陀仏を書かれた札をお配りになります。その時、寄進を頂いた方々に木玉の数珠をお配りしますのご準備をお願いします」
「承知いたしました。この3日にて木玉の数珠は仕立てておきますので、一遍上人様の堂籠もりが済みました起こしください」

 超一尼は「お願いしますね」と会釈すると、超二と共に去りました。(続く)

※この物語は史実資料を基にしたフィクションです。

※一遍の十重禁戒の受戒に関しては「一遍上人絵伝 巻第2 第7段」の記述にによる
このみぎりにして信心まことをいたし、発願かたくむすびて、十種の制文をおめて如来の禁戒を受け、一遍の念仏をすすめて、衆生を済度しはじめたまひけり。

※下記の念珠と文言は「一遍上人絵伝 巻第10 第39段」によるもので、一遍が臨終にあたり十二道具のひとつとして数珠の意味を記したもので、以下のように表現されています「南無阿弥陀佛信 畢命為期 念々称名(命おわるときのために、称名を念じる) 心は是即ち不断光佛の徳なり」 これが記されたのは承安元年(1299)で聖戒の筆によるもの 聖戒(1261〜1323)は一遍の弟もしくは甥とされ、一遍上人絵伝を描かせた