山田念珠堂NEWS

数珠の歴史(66) 時宗宗祖 一遍の数珠(2)

「お願いしておりました数珠は出来上がりましたか」
 四天王寺あたりの数珠屋の娘は声を掛けられると数珠作りの手を休めて声の主を見ました。
「一超様、はい出来上がっております」  
 娘は四角の竹で編まれた箱籠を取り出すと、蓋を開けて、まず直しの数珠を取り出し一超の側に立つ僧侶に手渡しました。
「一遍様、直しの数珠でございます。お確かめください。先日、一超様からお名前をお聞きしました。天王寺様の西門で皆に念仏を勧めているお姿はよく承知しております。堂籠もりを了えられたのですね」 一遍は四天王寺金堂で堂籠もりを行っていました。
 一遍は数珠を受け取ると、出来上がりを確かめるように両手で数珠を爪繰ると、にこりと笑みを湛えて娘に言いました。
「うん、よく出来ておる。これでよい。私が伊予の岩屋で仏道に勤めている時から、四天王寺あたりの数珠屋の娘、おまえの話は聞いておった。近々私は、高野山に参った後に熊野向かうのだが、弘法大師請来の数珠のことをしっておるか」
 弘法大師請来の数珠とは、弘法大師空海が入唐から帰朝する時に、皇帝から「この数珠を私と思うよう」と下賜された数珠のことです。
 「はい、存じ上げております」

「そうか、私は弘法大師ゆかりの数珠を持って高野山に参りたい。作ってもらえぬか」「承知いたしました。確かにお作りいたします」

  時宗の宗祖として知られる一遍は旅の聖(ひじり)です。

 生まれは伊予、現在の愛媛県松山市で豪族の子とし生まれます。数えで十五歳の時に出家し、善入という僧に連れられ九州・太宰府に向かい、聖達(しょうだつ)聖人について学びます。また浄土宗西山義の華台(けたい)聖人の下でも学びます。

 その後、父の死により故郷伊予に戻り、半僧半俗の生活を送った後、信州(長野県)の善光寺を訪れ「二河白道」の図を見て阿弥陀如来の極楽浄土への思いを強くし、伊予に戻ると窪寺の地に庵を構え、善光寺と同様の二河白道の絵を庵に掛けて念仏三昧の暮らしをします。

 窪寺で三年を過ごした後、全てを捨てて遊行の旅の中に身を置き、まず向かったのが難波の天王寺(四天王寺)でした。この四天王寺で、一遍は人々に念仏を勧め、さらに高野山へと向かうことになります。

※一遍の生涯を描き記した「一遍上人絵伝」を基にしたフィクションです。