数珠の歴史

数珠の歴史(72) 一遍の往生 仏教祖師の中で最も数珠を勧めた聖

四天王寺辺りの数珠屋の娘は供の者と兵庫へと急いでいます。
(一遍様が臨終を迎えられる)
一遍が寄越した小僧の言葉により、娘は一遍の最後が近いことを知ったのです。
(あら、紫の瑞雲が)
歩きながら空を見上げると紫の雲がたなびいています。紫の雲は、聖人が亡くなる際の奇瑞として知られています。(もしや一遍上人がご臨終に・・・)
 この紫雲は一遍と周りの者も見ていました。周りの者は「いよいよご臨終」かとざわざわしましたが、一遍は「私の臨終に紫雲の瑞雲など現れない」とつぶやくと、周りの者は静まりました。この時代、高僧の臨終には「紫雲がたなびく」といった奇瑞が顕れるとされており、一遍の周囲の者も「一遍様の臨終で奇瑞が顕れること」を期待していたのです。
 兵庫の観音堂に着くと、一遍は最後の説法をしており、その手には数珠が握りしめられていました。よく見ると「弘法大師請来の数珠」です。

 説法が一段落すると、一遍は娘を呼び寄せました。
「娘よ、私が臨終と聞き参ったか」
娘は答えようがなく
「一遍様、手にされている数珠は弘法大師ゆかりの数珠でございますか。私が以前お作りしました」
「そうじゃ。うん。お前が作ってくれたこの数珠を持って、私は高野山に詣り、その後は熊野で熊野権現に出会い示現を受けた。この数珠のお陰だ。私の命はもう少しで果てようとしている。この度は良く来てくれた。」
「私が作る数珠を度々と気にして頂き、ありがとうございました」

 一遍はほどなく、正応2年(1289)8月23日の朝、往生しました。

 一遍は往生の二年前、弘安10年3月1日、遊行衆が持つべき日々の道具十二種類を制定しています。そして、それぞれの道具に仏の名前さえを付けています。十二道具は十二功徳あり、十二光益であるとも記されています。そして、念珠はこの十二道具の中に選ばれ、不断光仏と名付けられています。

 遊行衆は、一処不住、つまり定住をしません。それは生涯を旅に費やした一遍そのものを現す言葉だと言ってもよいでしょう。引入(ひきいれ・食器)、箸筒(はしづつ)、阿弥衣(あみえ)は粗い布の衣、袈裟(けさ)、帷子(かたびら)、手巾(しゅきん)、帯(おび)、紙衣(かみこ・紙に柿渋を塗った防寒衣)、念珠、衣(ころも)、下駄、頭巾。これらの道具は十二光筥と呼ばれる背負子に入れられ、遊行僧に背負われました。

 一遍は念珠の人で、『一遍上人絵伝』に描かれる一遍上人は必ずといって良いほど数珠を手にしています。数珠は法具・仏具と呼ばれるものですが、ここでは日常具であると言えます。
 一遍は、他の鎌倉時代の宗祖・高僧の多くが比叡山延暦寺で学び、天台宗寺院で受戒を受けたのに対して、自身が四天王寺に参籠し自誓受戒をし、全国で念仏踊りの興行し、南無阿弥陀佛の札を賦算した、徹底的な聖(ひじり)でした。そして誰よりも数珠を身近に持した仏教者でした。
 

一 引入 南無阿弥陀佛 信 無量生命名号法器 心是即無量光仏徳也

一 箸筒 南無阿弥陀佛 信 无辺功徳入衆生心 心是即無辺光仏徳也

一 阿弥衣 南無阿弥陀佛 信 善悪同摂弥陀本願 心是即無导光仏徳也

一 袈裟 南無阿弥陀佛 信 除苦脳法无辺名号 心是即無他対光仏徳也

一 帷 南無阿弥陀佛 信 火変成風化仏来現 心是即炎王光仏徳也

一 手巾 南無阿弥陀佛 信 一念弥陀即滅多罪 心是即清浄光仏徳也

一 帯 南無阿弥陀佛 信 惠光囲繞照行者身 心是即歓喜光仏徳也

一 紙衣 南無阿弥陀佛 信 行住坐臥念念臨終 心是即智慧光仏徳也

一 念珠 南無阿弥陀佛 信 畢命為期念念称名 心是即不断光仏徳也

一 衣 南無阿弥陀佛 信 是人々中芬陀利華 心是即難思光仏徳也

一 足駄 南無阿弥陀佛 信 是最下凡夫乗最上願 心是即無称光仏徳也

一 足駄 南無阿弥陀佛 信 是最下凡夫乗最上願 心是即超日月光仏徳也

本願名号中衆生信徳衆生信心上
顕十二光徳他力不思議凡夫難思量
仰唱弥陀名号蒙十二光益

南無阿弥陀佛一切衆生往生極楽

弘安十年三月一日 一遍