数珠の歴史

「娘よ久しいの」
良忍は四天王寺辺りの数珠屋の娘の店棚に居ます。
「良忍様、大原でお会いして以来でございます。」
「そうであった。あの時は、私自身が毘沙門天からの直接の勧進を受け、毘沙門天にちなんだ数珠を頼んだ。その時の数珠がこれだ。毘沙門天の亀甲を象った玉も入れてくれておる。よく工夫された数珠で、度々この数珠を持ち毘沙門天像に拝してきたが、さすがに傷んできたので直しを願いたい」
「承知いたしました。」
「一ヶ月後にはここからほど近い平野に参る。大勢の人が集まると思うので、少し簡単な数珠を500ほど作ってはくれぬか」「ありがとうございます」
良忍は融通念仏宗の祖(1073〜1132)と知られる平安時代末期の人で、天台僧です。12歳の時に比叡山に入り、15歳の時に園城寺の禅仁から大乗菩薩戒を、21歳の時に仁和寺の永意から密教の金胎両部の灌頂を受け、天台法華と密教の教えを承け、比叡山で講主という要職に就きますが、23歳の時に洛北大原に来迎院、浄蓮華院を建てそこに籠もり、法華経、華厳経、阿弥陀経の読誦にふけります。
そして三昧中に出会った阿弥陀如来から融通念仏の教えを受けます。

「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行(いちにんいっさいにん いちぎょういっさいぎょう いちぎょういっさいぎょう)是名他力往生(ぜみょうたりきおうじょう)」
一人の念仏が全ての人の念仏となり、全ての人の念仏という行いが自分の念仏を生み出す。これを他力往生と名付ける、というものです。
「数珠もまた、融通無碍であるな」と良忍は娘に語りかけます。
「そこには浄土が宿り地獄が宿り、人生の様が宿り、仏となる階梯も示される」
娘はその頃、数珠とは何かについて考えることがありましたが、良忍の言葉を得て、数珠の意味が腑に落ちたように感じました。
平野の修楽寺は今日、融通念仏宗の総本山大念佛寺となっています。良忍の頃は、貴族である坂上広野の私邸でしたが、良忍が四天王寺参籠中に告夢があり、坂上広野邸の中に持仏を設けることになったのです。
作りあげた数珠500連を持って平野の参ると、そこにはすでにたくさんの人が集まっており、良忍の側には「名帳」に自分の名前を記してもらおうとする人が列をなしていました。
名帳は阿弥陀如来の名の下に自分の名前を記してもらい、約束往生するものです。
良忍は筆を休めると娘に目配せし、ここに来るように呼び寄せませした。それと同時に馬伴僧を呼び、脚の高い小机を持ってくるように指示しまた。
娘は良忍のそばに歩みよると
「娘よ、数珠は用意したか」
「はい、用意してまいりました」
「では、この机の上に数珠を並べて、名帳を終えた人に数珠を渡しなさい」
「はい、承知いたしました」
人々は名帳の自分の名前を記してもらうと数珠を受け取り、周囲に留まります
数珠を配り終わると良忍はぐるりと四方を見渡しました。皆数珠を持っています。
「皆、これより私の念仏について共に念仏を称えなさい」
良忍は南無阿弥陀仏に抑揚を付けて称え始めました。その念仏に合わせて皆が数珠を手に持ち念仏を称え始めると、そこには融通する音の響き合いにより、まさしく極楽を思わせる世界が出現しました。一人一人の念仏が皆の念仏となり、皆の行いが全員の行いになるというまさに他力称名の世界の出現で、そこに居る皆が、極楽浄土を体感できたのです。
大念佛寺(大阪市平野区)の大きな仏事の際には、数珠屋の娘が出店で数珠を並べています。ただし、無料ではなく有料ですが、素晴らしい数珠が揃えられいますので、是非お越し下さい。数珠の修理、数珠にまつわる御相談にも対応しています。


2026.9.27 UP DATE