山田和義の数珠の話

山田和義数珠の話(25)瑪瑙(めのう)① 

 今回は念珠素材としての三大貴石(翡翠・水晶・瑪瑙)の一つ「瑪瑙」に付いてお話致したいと存じます。

 瑪瑙という言葉の由来は原石の外観が「馬の脳」に似ていることにあるとされます。瑪瑙の英語名の一つはアゲイトですが、これはイタリア・シチリア島のアケイト川から付けられたものです。アゲイトの名付けの親はギリシャの哲学者で博物学者でもあるテオプラストス(紀元前371年〜紀元前287年)で、彼の著作「On Stone(石について)」の中で紹介されています。シチリア島は火山島であり、グリーンオニキスで知られています。

 瑪瑙の主成分は二酸化ケイ素が結晶化した石英で、元々は白灰色のものですが、実際に皆さんがご覧になる瑪瑙は、赤色や緑色などのものです。人工着色のようにも見える瑪瑙の色ですが、多孔質である瑪瑙は鉄分などの不純物を含み、加熱による色付けが古代より行われてきました。

 日本でも瑪瑙は産出されますが、有名なのが出雲地方の『出雲石』(青瑪瑙)と若狭地方の『若狭瑪瑙』(赤瑪瑙)です。この色の違いは産出される土地の温泉や土壌に含まれる鉄分や酸、アルカリ成分により生まれたとされます。

 出雲石は玉造温泉のある花仙山(かせんさん)で産出されます。花仙山そばには国指定の出雲玉作跡(いづもたまつくりのあと)があり、たくさんの勾玉・管玉、丸玉が発掘されています。

 出雲石と言えば青瑪瑙(碧玉)で知られていますが、古代の玉作りは平安時代に一旦途絶え、江戸時代以降に復活します。明治時代には若狭瑪瑙の加工技術を学び、出雲めのう細工として知られるようになりました。原石としては青瑪瑙の他、赤や白の瑪瑙も産出されていました。

 若狭瑪瑙と言えば赤瑪瑙なのですが、若狭瑪瑙が知られているのは産地としてではなく、加工地としてです。古くは産出されていたようですが、江戸時代以降は石川・富山・島根などから原石が運び込まれ、明治時代以降は北海道から原石を運び加工していました。若狭地方は温泉が多いことでも知られており、元々赤い瑪瑙が産出されていたのでしょうが、若狭の赤瑪瑙として知られるようになったのは江戸時代に高山喜兵衛が津軽で瑪瑙の焼き入れを学んだことによります。ちなみに北海道の瑪瑙は長万部辺りで産出される「花石瑪瑙」が知られています。鉄分を多く含むことにより赤に発色した瑪瑙です。

 玉造という地名は大阪にあることも弊社と関わりがあります。大阪の玉造の地名は古墳時代にこの地に玉作部が置かれたことに由来するもので、山田念珠堂の四代山田梅吉は明治十年、玉造の地に鶴(かんつる)として営業しておりました。