山田和義の数珠の話

山田和義数珠の話(20)翡翠(ひすい)①

 今回から数回に亘り3大貴石の一つ(水晶、瑪瑙、翡翠)の翡翠についてのお話をしたいと思います。

 翡翠を大きく分別すると「硬玉」と「軟玉」、すなわち「硬玉・ジェダイト(jadeite)」、「軟玉・ネフライト(nephrite)」に分けることができますが、「硬玉」と「軟玉」を合わせ、総称として「ジェイド(jade)」という呼び名もあります。「硬玉」と「軟玉」の対比は1対9の割合で、硬玉である「本翡翠」と呼ばれる石は極めて少なく、それ故宝石として尊ばれています。一方「軟玉」はそれぞれの呼び名も違い、また多種に渡り世界中に存在し、半貴石として扱われています。宝飾品と云うよりは工芸品、装飾品に利用されています。
 緑がかった鉱物の事を「〇〇ヒスイ」「〇〇ジェード」と呼ぶことが多いのですが、もっとも有名なものが「印度翡翠」と呼ばれる「グリーンクォーツァイト」、「中国翡翠」と呼ばれるものに「ネフライト」や、「独山玉」とも呼ばれる「ソーシュライト」があります。これらは、「硬玉・ジェダイト(jadeite)」ではありません。一般的に「本翡翠」と呼ばれるのが「硬玉(ジェダイト)」で有ります。今ではややこしい事になっていますが、日本では太古の昔から「硬玉」と「軟玉」の事を区別していました。

 今回と次回で宝飾品として希少な鉱物「本翡翠・ジェダイト・硬玉」の話をする事で、粗方の翡翠をご理解頂きたいと存じます。

 先ず翡翠の名前の由来ですがカワセミの羽に因んで翡翠と呼ばれたそうです。そう云えば緑色のヒスイは 少し透明感があり黄緑色のカワセミの羽の色に似ています。

 「硬玉」の産地ですが、最も有名なのがミャンマーのカチン高原、ロシア、カザフスタン、グアテマラのモタグア渓谷、アメリカのカリフォルニア、日本の糸魚川に成ります。不思議なことに中国は入っていません。

 翡翠という漢字名から翡翠は中国を代表する宝石と思われがちですが、実は中国では「硬玉」の「ジェダイト」は産出しません。
 中国の翡翠文化に「硬玉」が登場するのは明代以降のことで、現在のミャンマーとの交易により輸入されるようになってからです。
 もともと中国では「玉」の文化が古代からあり、翡翠という用語よりも「玉」が遙かに古代から使われて来ました。「玉」は美しい石の総称です。

 翡と翠という漢字の意味は、西暦百年頃に古代中国で成立した『説文解字』によれば「翡」が赤、「翠」が緑です。ですので漢字の意味で言えば翡翠イコール緑ではありません。ニュアンスとしては翡も翠も南方系の生き生きとした鮮烈な色のことです。「カワセミ」はまさしく翡翠の彩りを持つ鳥です。
 翡翠という用語が中国の文献上で登場するのは、意外と遅く西暦一千年の頃、北宋の時代に欧陽修が著した『帰田録』です。ここに小さな美しい玉の瓶を「翡翠」と呼ぶ、とあります。それまで、碧玉と呼ばれていたものでした。

 清の皇帝が最も尊び、第一夫人には「硬玉(ジェダイト)」の贈り物、第二夫人には「ダイヤモンド」と言うように、当時は金よりも希少で故に「インペリアル、ジェイド」として有名に成ったのが経緯です。

 

 中国の王朝文化が生み出した「硬玉(ジェダイト)」の傑作とされるのが、台北の故宮博物院の「翠玉白菜」です。高さ二十センチほどで上部が碧、下部が白い、見事なまでの「白菜彫刻」です。葉っぱの上には碧のバッタとキリギリスまで彫刻されています。
 この彫刻が登場するのは清代末期の1889年です。

次回はミャンマーの翡翠、日本の国石である糸魚川翡翠を中心に、硬玉のお話を続けます。