山田和義の数珠の話

山田和義数珠の話(21)翡翠(ひすい)②

「硬玉(ジェダイト)「としての翡翠のモース硬度は7・5以上あります。因みに「軟玉(ネフライト)」や「水晶」のモース硬度は7・0ですので、「硬玉」は「軟玉」よりもやや堅いことになります。ダイヤモンドはモース硬度15・0です。

 色に付いてはポピュラーなものは緑、その他には白、赤、黄、黒、紫、希に青と色々な色が存在しますが、着色の原点は瑪瑙で解説しましたように、土壌の地質により色合いが変わるとされています。

翡翠の世界三大産地のナンバーワンはミャンマーで、特に黄緑の透明の高級品が多く産出します。第二位が日本の糸魚川で、第三位はロシアです。

 翡翠の多くは造山帯で産出します。1万気圧の高圧の中で蛇紋岩に混ざり変成岩として構成され産出します。鉱物名「翡翠輝石」は多孔性である為、地質により発色が変わるものとされています。また多孔石であるが為に不純物も多く、「翡翠輝石」の多い物を「翡翠」と呼び高価に取引されます。

 特に日本の糸魚川で産出される翡翠は「翡翠輝石」の集合体であることから、不純物が少なく無色透明であり、その集合体は「翡翠輝石」本来の色の白色に見えます。この「翡翠輝石」にクロムが入ると緑、チタンや鉄が入ると紫や青になり、翡翠のバリエーションは多岐にわたります。

 「硬玉」としての翡翠は中国やオーストラリア、ニュージーランドでは一切産出致しません。中国では「中国翡翠」と呼ばれる「ネフライト」、オーストラリアでは、「オーストラリア翡翠」といった「クリソプレーズ」の瑪瑙の鉱石、ニュージーランドからは「ニュージーランド翡翠(マオリヒスイ)」として「ネフライト」を加工し販売していますが、その多くは「本翡翠(ジェダイト)」ではありません。

 因みに日本で産出する「糸魚川翡翠」に付いて触れておきます。文献によれば、縄文時代4500年〜5000年には翡翠による勾玉(まがたま)が作られていたことが知られ、日本宝石文化の原点とされていましたが、日本の翡翠は何故かその後、奈良時代より消滅してしまいます。

長い時間の隔たりを経た昭和13年に新潟県姫川上流で翡翠が発見され、日本の翡翠文化を裏付ける事となりました。実はそれまで、古代の翡翠文化は海外からシルクロードを経て日本に伝来したと考えられていましたが、日本で産出される翡翠で加工されたものであることが証明されたのです。

 また松本清張の『万葉翡翠』(翡翠原石発見にかかわる架空の殺人事件を題材にした短編小説)がきっかけで、翡翠ブームが起こりました。

 翡翠の判別は素人では判りずらいことが多く、プロの間では「翡翠が分かれば、全てが判る」とか「翡翠で始まり、翡翠に終わる」とまで言われています。奥が深い鉱物、それが「本翡翠・ジェーダイト・硬玉」です。

 次号では、「軟玉(ネフライト)」についてお話しさせて頂く予定です。